こんにちはアズキングです!
お盆休みに突入して実家に来ています!
実家と言っても徒歩5分の所ですwww
母親と話していてとても驚いた事があったので書きたいと思います。
はじめに
私の祖父母の家は山口県周防大島にあります。
周防大島はハワイと姉妹都市で行くといつもハワイを強調してます。
その昔、島に渡るための橋が有料だった頃、料金所のオジサン達の制服がアロハシャツでした。
お洒落な食べ物屋さんに行くと大概の確率でロコモコ定食やロコモコ丼が置いてます。
そんな島が周防大島です。
なぜハワイと姉妹都市なのか?
なぜハワイと姉妹都市だったんだろうと思い、調べたことがあります。
ずいぶん前に周防大島内にある日本ハワイ移民資料館に行った時に調べたため。うる覚えなのでWikipediaから引用します。
江戸時代中期以降人口増加が著しかった大島郡では、島の限られた土地では生活ができず、伝統的に大工・石工・船乗りなどによる出稼ぎが盛んであった。さらにハワイ移民の話が持ち上がったころには、全国的な不況に自然災害が加わり、大島郡では人々は餓死寸前まで追い込まれていた。こうした事情を知る山口県は、大島郡からの募集に特に力を入れ、郡役所、村役場も大いに努力を傾けた。住民にとっても、ハワイでの好条件は耳よりな話であった。その結果第1回の官約移民では大島郡出身者が全体の約3分の1を占め、官約移民時代を通して約3,900人が大島郡からハワイに渡っている。かつては、「芋喰い島(いもくいじま)」と呼ばれていた大島郡は、こうして「移民の島」として知られるようになった。現在でも、周防大島の住民は、ハワイに親戚を持つ者が数多くいる。
山口県及び大島郡の官約移民年度別統計[3]によれば、1885年(明治18年)~1894年(明治27年)の10年間で26回に亘り移民を送り出しており、全国で29,084人、うち山口県10,424人で大島郡からは、3,914人もの方がハワイへ渡っている。都道府県別では、広島県(11,122人)、山口県(10,424人)、熊本県(4,247人)、福岡県(2,180人)、新潟県(514人)の順である。
日本ハワイ移民資料館Wikipediaより引用
上記の理由から周防大島町はハワイと姉妹都市なんだそうです。
何に驚いた?
実家に行ってちょうどノートPCを開いてブログを見ていた時です。
alohabyzoom.hatenablog.com
そうALOHAbyZOOMさんの紹介しているソフトクリーム美味しそうやな!と母親と会話していた時です。
母親がポロっと曾じいちゃんもハワイから帰ってきてなかったら、今頃ハワイにいたかもなと言われました。
曾じいちゃんがまさかハワイに出稼ぎに行っていたなんて知らなかったです。
まぁ~本当にハワイに残っていたら今頃、私や母は生まれてませんけどねwww
驚いちゃいました!
さらっと言ってるけど、前にハワイ移民資料館に興味本位で調べに行った時に教えてくれたらよかったのにと言いました。
しかし、親戚の中でもハワイに行った事があるのは曾じいちゃん一人だけです。
まとめ
今回、はてなブログをやっていたお陰でALOHAbyZOOMさんのブログで曾じいちゃんのルーツも知りました。
そしてもう1つ驚いたのが曾じいちゃんがハワイに出稼ぎに行き帰ってきて、今の祖父母の家を建てたそうです。
ハワイに出稼ぎ行くと儲かったんだなと驚いちゃいました。
当時の為替、円の価値を考えると相当な金額だったんだろうと思います
今、こうして生きているのも曾祖父が出稼ぎで頑張ってくれたからだと思います。
そして、今は祖母だけになってしまいましたが90歳になっても元気に畑仕事をやっている祖母・・・
曾孫の顔を見せれて良かったです。
難しいかもしれないけど、もっと長生きしてもらって夜叉孫も見せたいな
最後まで読んで頂きありがとうございます。
そしてALOHAbyZOOMさん、ありがとうございましたm(_ _)m